006:1/f、今の自分のまま世界をじっくり見つめ直すこと

Hello World』という合同展を観に行ったのが、3月2日の土曜日のこと。

この展示はもう既に終わっているのだけれど、とてもよかったので改めて感想を書いておこう。

 

世田谷区は尾山台の駅を出てすぐ、石畳のような地面の商店街を歩いた先に、展示会場である『fluss』(フルス)がある。

地下に続く階段を降りると、ガラスの扉から少し中を見ることができる。

薄暗い、というよりは、ほんのり明るい、ような光量の展示室。部屋の真ん中にはグランドピアノがあり、ポーン……とピアノの音が鳴る。すると近くにある電球とLEDライトが、共鳴するように明滅する。

ピアノは、気まぐれに演奏される。演奏者は、近くに立つ人と会話をしている。会話のあいまにピアノの音が鳴る。光が反応する。わたしはそれを、うつくしい、と『思う』。

 

揺らぎ。

たとえば『方丈記』のはじめに書かれているように、流れる川の水はさっきと同じ水ではないし、よどみに浮かぶ水の泡は消えては生まれ、長くとどまることはない。

山中にある川を眺めたときのことを思い出す。川の流れを見ながら、『方丈記』を思い出し、鴨長明の観察眼に感嘆した。かつ消え、かつ結びて。それは、ひとところにとどまって、じっと川や水面を見るからこそ出てくる言葉だろう。

 

Hello World』は、そんな『揺らぎ』のような展示だった。

危ういという意味ではない。むしろ、頑健で強固であった。空間全体を作品としてプロデュースされており、すべてが素晴らしい作品だった。

わたしは建築家の久米岬さんの作品を目当てに行ったのだけれど、空間全体、それらを構成するすべてのファンになってしまった。はじめて訪れた場所なのにどこか懐かしく、それでいて新鮮で、ずっと居たいと思わせるような魅力があった。

 

川が流れるためには、しっかりした土台が必要だ。やわな土台では、水の重さや勢いに負けてしまう。岩や石の上を流れていく川の水のことを想った。かつ消え、かつ結びて。それはまるで生命そのものだ。

 

会場内で久米さんの作品を見るにあたって、『思考録』という小さなカタログが貸し出された。

とても素敵な試みだと思った。

『思考録』の中には、久米さんが何を思って・どうやって・何を使って作品を作成したのかが、作者自身の言葉で語られている。

たとえば額縁の端材を集めて作られた『木』という作品。一見すると「これは何だろう?」と首を傾げてしまうが、『思考録』の中には、それが額縁の端材であること、久米さんが、作品の脇役ともいえる額縁に焦点をあててみたいと思って『木』という作品を作ったこと、などが書かれている。

 

小さな子どもと接するとき、その目線の低さに驚きながら、屈んで目線を合わせることがある。

そして、目線を変えるだけで世界の見え方が変わることに気づく。

自分は何も変わっていないのに、だ。

さらにその子どもが「あっ!」と指さすと、そこには大人の自分が気にも留めなかった『素敵なもの』が存在している。

 

何も変わらなくていい。

崇高な理念は必要ない。

目から鱗が落ちるような体験も必要ない。

ただ、少しだけ深呼吸をして。

いつもと同じ景色を、違う目線で見ることができたら、きっと。

 

そこには、うつくしい『何か』が眠っているはずだ。