遠井:週報(2026/02/02~2026/02/08)

 平日のうちに期日前投票に行った。
 期日前投票って、好きだ。混雑していないし、選挙当日の会場よりもアクセスがいい。サッと行ってシュバッと投票してササッと帰る、というのが出来て、とてもいい。これからも選挙を管理する人々には、期日前投票を続けてほしい。
 選挙、回を重ねるごとに難しくなっている気がする。世界が難しくなっているのか?
 それから今回は、うーん、なんというか、政治についてまったく詳しくないのだが……、世界平和みたいなこと、政治家の人たちはあまり祈っていないのですか? と思ってしまった。経済が回れば良い、のだろうか? そんなことはないはずだが……。

 

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 印象派展に行ってきた。仕事が落ち着いたので平日休みを取って行ったが、当日券売り場は行列で、中もそこそこ混雑していた。土日に行ったら、人間しか見えないかもしれない。
 美術館というか、美術とか芸術というものって、不思議だ。人々がこぞって『美しい』とされるものを観に来ること、不思議だ、と思う。また、それらは都会的な営みだ、とも思う。それが良いとか悪いとかではなく、自分の生まれた町には『美術館』は無かった。それらは『遠く』にあるものだった。という、その手触りを思い出した。

 

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 2ヶ月ぶりに書道教室へ行った。忙しくて行けていなかったのだ。
 日程の関係で「3週間分の課題を今日だけで終えて下さい」と言われて、戦慄した。トライアスロンみたいな気持ちになりながら、3週間分の課題を終わらせた。やればできるんだな……という気持ちになった。もしかして自分はもっとできるのかもしれない。ただ、こういう……短距離走の走り方で長距離を走る、みたいなやり方は、常態化させないほうがいい。今回は特別だった、と思わなくては。

 

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 今月号のコミック百合姫に読切を掲載していただく関係で、確認作業などが発生している。なんだかあまり現実感がない。
 今回の読切掲載は、『作家としての初仕事』となる。
 コミック百合姫には、以前『近日点はまだ遠く』のコミカライズを掲載していただいた。pixiv百合文芸の受賞作である。これがまあ、デビュー作、となるのか。なるのだろうか? あまりわからない。なんというか『作家』って別にアマチュアでもプロでも名乗って良い肩書きだし、専業作家も兼業作家もいるし、いつから『作家』になるのか、わからない。また、小説賞みたいなものって大小問わずたくさんあるから、受賞すなわち作家デビュー、というのも少し違うような気がする。
 あとは「自分はまだまだ至らないから『作家』を名乗るのはおこがましい」とか「好きなことをしているだけだから『仕事』だなんて言えない」みたいな気持ちも、ないではない。あるのだ。でもそれは謙虚に見えて、傲慢な思考だ。熟練した創作者だけが『作家』ではない、のだし、苦しがりながら行うことだけが『仕事』でもないのだし。
 それにコミック百合姫に読切が掲載される人間が「自分は『作家』ではない」と言うのも、変な話だ。また原稿料的なものが支払われるのに「『仕事』ではない」と言うのも、同様におかしな話だ。出版社は『仕事』としてやっているのだから。それに読者の方々も『商業作品』にお金を出して購入しているのだから。
 そういう弁明を経た上で……『作家としての初仕事』です。よろしくお願いします。あと10日。

遠井:週報(2026/01/26~2026/02/01)

 どう見積もっても月~金曜日すべてフル出社しないと間に合わない、というスケジュールだった。出社するのに片道1.5時間かかるので、1日あたり3時間ほどが『使えない』時間になる。仕事に使えるわけでもないし、創作に使えるわけでもない。満員電車でなければまだ創作に充てることもできるが、行きも帰りも満員御礼の苦役列車だ。というわけで、会社から20分ほどの駅にホテルを取った。日曜日の夜にチェックインし、金曜日の朝にチェックアウトした。仕事をして、残業をして、ホテルのシングルルームに寝泊まりして、また仕事に行き、という週だった。

 こんな生活をしていては狂ってしまう、と思った。朝起きて、簡素なバイキング(パン2種とサラダ2-3種、コーヒー・烏龍茶・オレンジジュース)で朝食を摂り、会社に行き、仕事をして、コンビニ弁当を食べ、仕事をして、ホテルに帰る。夕食だってスーパーの惣菜売り場の弁当だ。部屋にはレンジもない。たいていのビジネスホテルがそうあるように。仕事をして、あとは寝る。ただそれだけだった。仕事は楽しいけれど大変だ。振られた仕事を捌いて、捌いて、捌いて、ようやく一息つく頃にはもう定時退社の時間になっている。残業をする。ユニットバスが窮屈で、スーパー銭湯に行く。次は絶対に大浴場つきのホテルを取ろう、と思った。
 荷物に本を入れてこなかったことを後悔し、本屋に立ち寄る。漫画と文庫本を1冊ずつ買う。それらを読み、わたしにもいつか創作ができるだろうか、と考える。何一つ『書きたい』とは思えなかった。死んでいるようなものだった。ただ生きているだけだった。生活ですらない。最低限の部屋で、最低限の日々を送る。屋根はあり風呂場も寝床もある。ただそれだけだった。
 
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 土曜日、日本橋高島屋の展示室で『闇市と都市―Black Markets and the Reimagining of Tokyo』という展示を見た。戦後の東京で開かれていた『闇市』に関する展示だ。
 闇市とかBlack Marketとかいう単語には、どこか猥雑な雰囲気が漂う。あるいは9mm Parabellum Bulletの『Black Market Blues』を思い出す。そうここはまるで世界中に見捨てられた市場。そういうところ。
 展示を観て驚いたのは、『闇市』は薄暗い場所ではなく、路上で開かれていた、ということだ。闇、という名称がつくからだろうか、なんとなく、薄暗い取引場所、というイメージを抱いていた。だが展示されている『闇市』は、まず露店から始まっていた。戦後の、なにもない東京で、ひとびとが荷車や自転車で物を運び、売り始めた。米軍兵士の靴を磨いたり、物を売買したり、そういうものが『闇市』だった。
 ひとが生きようとしていたのだ。戦争が終わったあとの日本で、東京で、そのまま崩れて去るのではなく、ここで、この場所で、生きようとしていたひとびとの営みが『闇市』として興り、市は街となり、都市となって、整地され整備され、こんにちの発展へと繋がった。
 そういう、息遣いみたいなものを感じる展示だった。展示自体も良いし、キャプションの文章が本当にとっても良くて、もっとこのひとの文章を読みたい、と強く思った。
 
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 肉体が限界だったので整体に行った。首、肩、腰、背中がすべてぎしぎしと軋んでいた。歩いているだけで溜息が出てきてしまう状態だ。足裏も痛いし。
 そういうわけで身体をメンテナンスしてもらい、どうにか呼吸しやすい状態に戻してもらった。生まれて初めて整体院で施術を受けたとき、肉体の軋みとか重みがすべて消えて、魔法かと思った。首も背中もぎしぎし軋むのが普通で、身体が重たいのは自分が太っているせいだと思っていたが、たんに全身が凝り固まっていただけだったのだ。それに気づいて、人生って結構あかるいのかもしれないな、と思ったこと、を、今回思い出した。わたしの思う『人生』は肉体に依拠しすぎている。もう少し精神的な存在になりたい、と思うが、どうあがいたって肉体からは解き放たれない。でも、これは決して肉体の瑕疵が人生のあかるさとかを決める、というはなしではない。なんか、すこし、難しいかもしれない。
 
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 仕事が一段落ついたので、来週からはまた在宅ワークとなる。創作もできるといいのだが……。希望を持ちつつ、やっていこう。

遠井:週報(2026/01/19~2026/01/25)

 通勤をすると、すごい。何をする時間もない。毎日3時間、死んだ目で電車に乗っている。罰だ、と思う。東京は人が多い。人に押しつぶされている。みな、同じ罪を背負って、おそろいの罰を受けているのだろうな。
 まあ、そんなことはない。罪とか罰とか、そういうので片付けようとするのは短絡的な妄想にすぎない。自分がこんなひどい目に遭っているのは、自分が罪を背負っているからです、と思うと、道理や合理に似たものがある気がして気持ちいい。でも、そういう論理は、人生には無いのだ。
 気を抜くと、思考はどんどん泥沼めいた場所に飲み込まれていく。自分がやった悪いこと、清潔ではないこと、人には言えないことなどが湧き出てきて、これのせいだ、あれのせいだ、と罪の数を数えてしまう。そんなことをしても益体はないのに、自分を罰するのはどこか気持ち良い。罰を与えるという行為をするとき、『自分』という存在が分割されて、『罰される悪い自分』のほかに『罰する正しい自分』が生まれるから、なのかもしれない。正しさを振りかざすのだって、気持ち良いのだし。
 自分、という存在をどう扱うか。粗雑に扱っても、丁重に扱っても、なんだかしっくり来ない。自分というのは何なのだろう。どういう扱いが正解なのだろう。悪いところも善いところもあり、そういう『自分』との折り合いを、どうつけていくべきなのか。今もまだ、わからないでいる。

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 基本情報技術者試験を受けようと思ったので、勉強を始めた。過去問を掲載しているサイトを使って、4択問題をポチポチ解いている。実務経験によってわかる範囲もあれば、実務経験ではカバーできない範囲もある。というか、大半がそれだ。
 そういうわけで、先に参考書を買うか……と思った。このあと買いに行くつもり。試験自体は毎月実施しているそうなので、どこか……良さげな時期を定めて、そこに向かって勉強していこう。

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 noteのアカウントを削除した。少し……、うーん、『お金を稼ぐためにAIに記事を書かせ、無差別にフォローやいいねをしてフォローバックなどを狙う』というアカウントが……多すぎる! と思って、いったん嫌気が差したので、やめた。自分の中でなんらかの何かがどうにかなったら、再開するかもしれない。
 そういうわけで、個人サイトを開設して、ブログも移動した。はてなブログでも読めるが、はてなブログはてなブログで広告が多いな~と思っているので、そのうちやめるかもしれない。まあ、何もかも、『いつかやめるかもしれない』という可能性は往々にして存在する。人生って、そういうものか。なんて。

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 友人が主催するフリーマーケットに遊びに行った。フリーマーケットって主催できるんだ、という驚きがまずある。伺ったところ、ハンドメイド品や古着のほか、創作同人誌なども並んでいて、かなり良かった。同人誌とアクセサリーを買った。それから、ポートレート撮影を販売しているブースもあったので、写真を撮ってもらった。
 自分の顔、姿、って、とても妙だ。こんなかたちをしているのか、とびっくりする。わたしから見る『わたし』は、他人から見る『わたし』ではない。そういう不思議を抱えながら全生物が生きていることを思うと、果てしない気持ちになってくる。海の中にいるような心地だ。自分が海獣だとしたら、うんと首の長い種類がいいな。この長い長い首は、陸上では重力に負ける。そういう気持ちで、生きている。

遠井:週報(2026/01/12~2026/01/18)

 

 おしらせです。
 コミック百合姫4月号(2026/2/18 発売)に読切漫画を掲載していただきます。
 というわけで、1月発売のコミック百合姫3月号の次号予告ページに名前を載せていただいております。
 『春の埋み火(はるのうずみび)』という作品です。
 作画はAyster先生にお願いしております。
 来月またお知らせしますね。どうぞよろしくお願いします。

 

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 というわけで週報。
 今週の前半は体調が芳しくない状態が続き、限界の状態で仕事をした。仕事はできるが、生活まで手が回らない、という状態。通勤に往復で計3時間ほどかかるので、少し残業をすると、あっという間にすべてが破綻する。
 朝6時に起きて、8時に出社。17時~18時の電車って混むからな、と思いながら19時まで残業。19時の電車も全然空いていないのだが、みちみちではない……という状態をやりすごし、21時前に帰宅。コンビニ弁当などで食事をやりすごし、お風呂に入り、寝る……みたいな。そんな感じだ。この場合、朝食も昼食もコンビニでやりすごしているので、生きることの大半を『やりすごし』て生きている、といえる。心がすさみ、ささくれ立ち、体調が優れないのも致し方ない。
 週の後半は在宅ワークだったり週末休みだったりしたので、自炊をしたり掃除や洗濯をしたりして、生活を取り戻した。生活をすること、掃除や洗濯をすること、料理をすること、買い出しをすること、など、そういうことの一つ一つを『やる』ことで得られる満足感があるな、と。そういう感じだ。

 

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 小説を書くのをやめよう、と思った。
 理由や経緯は色々あるが、まあ、それらをどれだけ並べ立てても本質ではない。『書きたいもの』が少しも浮かんでこなくて、ああもう涸れてしまったのだ、と、じゃあもう小説を書くことなんて出来ないのだ、無理に書こうとしても書けないだろう、じゃあもうやめよう、と思ったのだった。
 書かなくていいのだと思うと、肩の荷が降りた気がした。自分には才能がないのだと思うとラクだった。世の中の『創作者』と『自分』のあいだには明確な線があって、『そこ』には到底追いつけないのだからと諦めると、心地よかった。文学賞の募集も、受賞結果も、どれもこれも自分には関係がなかった。本を読む、漫画を読む、映画を観る、それだけで人生が終わるのだと思うと、未来はどこか見知った色をしていた。
 生活を『やる』程度の時間の余裕ができて、生活を『やる』ことで心が満たされて、一呼吸ついたとき、『書きたいもの』が浮かんだ。ひとつ浮かぶと次々に浮かんでくる。えがきたいキャラクター、取り巻く環境、ドラマ、テーマ、そういうものが浮かんできて、『書きたい』と思った。
 そういうわけで、もう少しだけ小説を書き続けようと思っている。
 『書きたいもの』があるだけで人生は少し輝いて、見たことのない色を、している。

遠井:週報(2026/01/05~2026/01/11)

 オケージョンが切り替わり、節分やバレンタインデーになっている。目まぐるしい。かつてはその渦の中にいたのだが、今はもう遠い日のできごとだ。年末年始に帰省ができるということ、当たり前ではない。土日祝の休みも、同じく。今はとてもありがたいところに立っている。

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 七草粥を作って食べた。無病息災などを願って食べるらしい。はじめて作ったのだが、なかなかうまくできた。ものすごく、『草』だ。まあ7種類も草を入れたら当然か。最初はプレーンな状態で食べ、そのあとバターを入れたり塩を入れたりして、味変しながら食べた。バターがかなり美味しかった。七草バター粥だ。
 七草粥、家では食べる週間がなかった。小学生のときにテレビの情報番組で存在を知った。「食べたい!」と祖母に言ったら「あんなの雑草だ」とすげなく断られた。スズナスズシロは別として、確かに道端などで取れるのかもしれないな。そういえば、情報番組でも野原や道端みたいなところで探していたような気がする。

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 実家から古いスピーカーを送ってもらった。壊れたオーディオセットが眠っていたのを夏に見つけ、配線をいじったり調べたりしているうちに、アンプを買えばスピーカー部分が使えるのでは、という結論に至ったので、今回の帰省のときにアンプを買って行って、接続を試した。ぶじに繋がったので、スピーカー部分をもらうことにした。というわけで、大きなスピーカーが部屋にある。嬉しい。iPadとBluetooth接続して音楽が流せるようにした。SONYのスピーカーなので重低音が心地良い。好きだ……。

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 体調を崩し気味だったので、薬を飲んだ。のだが、間違えて2回飲んでしまった。翌日、起き上がれないぐらいの倦怠感があり、「絶対に用法用量を守ります……」と誓った。こうやって痛い目を見ないと学ばないことってあるな、と思うなど。

遠井:週報(2025/12/29~2026/01/04)

 年始だ。2026年最初の週報となる。

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 年末年始は実家に帰省し、のんびりと過ごした。雪もさほど降らず、除雪作業をする必要もなかったので、暇を持て余していた。車を出してもらって買い物に出かけたり、ひたすらアニメを見たり、何も無い農道を1時間散歩したり、そういう感じだった。M-1グランプリの録画を見たり、紅白歌合戦を見たりもした。
 あとはノートを持っていって、次に書きたい小説の設定メモをがりがりと書いていた。30ページほど書いた。色々と書きたいものがあり、頭の中が散らかっている。
 それから少し小説も書いた。合計1万字ほど。今回の帰省では手首を休めよう……と思って、iPadとBluetoothキーボードをしばらく荷物の中に眠らせていた。そういうわけで寝る前にスマホでぽちぽち書いていたのだが、すぐに物足りなくなって、iPadとBluetoothキーボードを帰省の荷物から出して、ガタガタと書いた、という次第。キーボードを叩くのって、やっぱり楽しい。設定をノートの上で捏ねている間は考えつかないことまで思い浮かぶ。小説って楽しい。
 お正月は映画館に行ったり、地元の神社へ初詣に行ったりした。元日から観る映画は、なんだか特別な感じがして楽しい。映画館は、福袋なども無いから混雑してなくてちょうどよかった。だらりと家で過ごすのもいいけれど、少し遠出するお正月もアリだな。
 あとはDuolingoが444日になった。フィットボクシングも60日を達成。実家でも継続したのだ。えらいなあ。このまま頑張るぞ。

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 母にストールを編んでもらった。編み物にハマっているらしい。何年ぶりかの、何度目かのブーム、とのこと。
 仕事や生活を終えた後に、アニメを見るともなしに見ながら編み物をしているらしい。母はオタクではない(はずだ)が、アニメはわたしよりずっと視聴している。テレビ画面に何かが映っている状態が好きなのだ。世代なのかもしれない。
 アニメの絵柄やストーリーにも好みがあるし、好きなアニメキャラのグッズを(ガチャガチャなどで)買ったりもしているらしい。うーん、オタクではないはずだが……、オタクなのかもしれない。オタクと非オタクの境目って、どこにあるのだろう。

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 今年の目標を立てた。
 小説は年間50万字を目標。Duolingoやフィットボクシング、書道教室、この週報などを継続しつつ、新しいことも始めたいな~と思っている。むかし落ちた漢字検定準一級を受験し直すとか、Qiitaに記事を書くとか、海外旅行とか……、そういうことをやりたいな、と。そういう感じ。海外旅行は遠くなくていい。台湾に興味があるので、近場でいい。というかパスポートを取得するところから始める必要がある。面倒だな。嫌ではないけれど、手間ではある。ふらりと電車に乗ったら辿り着く、みたいな旅行もしたいなあ。熱海とか、そのあたりで……。

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 2026年も楽しみな予定がたくさんあるし、書きたい小説がたくさんある。うきうきだ。
 それでは、今年もよろしくお願いいたします。