お皿が割れた。
割ってしまった、というのが正しい。誤って落とした結果だ。ぱんっ、と音がした。ひゃっ、と声を上げたかもしれない。割れて散った破片を見下ろし、怪我をしないよう注意しながら、大きな破片は手で拾い、小さな破片を掃除機で吸う。すぐに床はぴかぴかになる。何もなかったかのように。
はじめてお皿を割ったのは、何歳のときだろう。覚えていない。夕食の後かたづけを手伝うぐらいの年頃で、自分のお皿がメラミン製ではなくなった頃だ。母の洗った食器をタオルで拭いて棚にしまうのがわたしの仕事だった。
つるっと手が滑ってお皿を割ったとき、わたしは世界の終わりだと思った。このうえなく怒られると思ったし、ごめんなさいを言うよりも先に泣いていた。割れた皿をどうするべきかもわからなかったし、怪我をしていないか心配する母の言葉もうまく理解できなかった。何せはじめて食器を割ったのだから、破片で怪我をするということすら、思い至らなかった。
結論から言うと母はわたしを怒りはしなかったし、わたしは怪我もしなかった。てきぱきとホウキと掃除機でその場をかたづける母を、わたしは泣きながら見つめていた。大惨事というほかない床の上が綺麗になっていくにつれ、世界が終わらないことを少しずつ理解していった。
わたしはもう大人だから、お皿を割っても泣くことはない。一人で対応できるし、怪我もしない。お皿を割る頻度はおそらくひとより多くて、うちには二枚一組だった皿の、かたわれたちが何組も残っている。かたわれを失ったかたわれは、食器棚の中で、どこか収まりの悪い顔をしているように見える。
◯
『秋に聴きたいスピッツ』というプレイリストが公開された。聴いて泣いている。スピッツの昔の曲を聴くと、友達と二人で歌詞をノートに書き写したり、CDの貸し借りをしたりしたときのことを思い出して懐かしくなる。今はもう交流のない友達だけれど、今でも元気でいるといいな、と思う。大好きだった友達だ。
◯
坊っちゃん文学賞に間に合うのではないか? と思って小説を書き始め、1時間で1500字ほど書いた。寝かして加筆修正して2200字ほど。坊っちゃん文学賞は4000字以内なので、少なくはあるが規程以内である。再度寝かせて、読み返し、応募した。
◯
健康診断に行ってきた。6年ぶりに……(これからは毎年行きます)
◯
学研の「まんがでわかるシリーズ」で「こんぶのひみつ」を読んだ。昆布が海の中で出汁が出ない理由を知らないな、と思ったので、図書館で借りてきた。生きている昆布からは出汁が出ないとのことだった。もし昆布が海の中で大量死する現象があったら、海はおいしくなってしまうのだろうか……と思った。
◯
今年が残り100日を切ったらしい。来年の手帳は既に買ってある。10月始まりなので、数日後には切り替えるつもりだ。今年を惜しむ気持ちはあるが、新しい年に対してわくわくする気持ちもある。
持ち歩き用の手帳は、もう5年近く同じ手帳を使っている。ミッフィーさんのマンスリー手帳だ。毎年表紙や中身のイラストを変えつつ同じレイアウトで出してくれるので、程よく気持ちが切り替わってくれる。
家で置いておく手帳として、LACONICのB6Cラップトップ手帳を使っている。日々、読んだ本や観た映画や、書いたものをメモしておく用だ。表紙に「Toi,toi,toi!」と印字されており、それってとってもoto_toiだ、と思って購入した。ドイツ語のおまじないや願掛けで「うまくいきますように」「がんばれ」などの意味があるらしい。友人曰く、フランス語だと「お前お前お前!」になるらしく、圧の強さに思わず笑ってしまった。
それとは別に(持ち歩き用1冊、家用1冊あれば充分なのに!)、ほぼ日手帳の「HON」A6サイズ、久保田寛子さんの「三日月配達」が表紙の手帳も買ってしまった。LOFTで心を射抜かれ、30~40分悩んだ末に、売り切れて未練が残るよりは、と購入した。こちらは1月始まりなので、まだ寝かせている。何を書くかは決まっていないが、つやつやぴかぴかでかわいらしい表紙を見ているだけで胸が躍る。いっそ、「本」を持ち歩く代わりに、手帳を2冊持ち歩く生活にしてしまおうか……